12−16
翌朝、町はすっかり冷え切っていた。雪はやんだが相変わらずの曇天で、積もった雪と相まって景色は真っ白に変わっていた。 その汚れを知らない大地に、イウギが一歩踏み出す。新しく作った小さな背負い袋を背中に付けて、自分の荷物は自分で持って、しっかりと前を向く。ようやく再び歩き出せるのだ。体も軽く、心もうきうきしているのは気候のせいばかりでもないだろう。 イウギはもう、宿の人たちと別れの挨拶を済ませてきていた。 「体には気を付けてね。ケガしないように、病気しないようにね。」 別れを一番惜しんでくれたのは女将さんだ。本当に寂しそうに、イウギの手を握って放した。旦那さんも無言で笑って、イウギの肩を優しく叩いた。 見送りの中に、ヤナイの姿はなかった。女将さんによると、仕事があるので朝早くその準備に出かけたということだった。彼にちゃんと挨拶を出来なかったのが、唯一の心残りだ。 白い息を吐きながら、町の入口まで来ると街道もすっかり雪で埋もれてしまっていた。大した深さではないものの、これを漕いで行くのはかなり骨が折れそうだ。セルイの不安そうな顔は尽きない。結局、雪が振る前に街道を越えることは出来なかった。自分が煩ったばっかりに…そんな後悔が何度もよぎる。これで本当に良かったのか、自分は何か間違ってはいないか、取り返しのつかないことをしていないか、神は往くなと言っているんじゃないか。この白く閉ざされた街道を見て、そんな考えが何度も襲った。だが、自分は子供の意志に従うと決めたのだ。その言葉だけは曲げられない。 ヤナイさんの言うと通りだ…《自信を持て》《もっと肩の力を抜け》この矛盾しているような言葉は、今の自分にぴったりだ。傲慢にならないよう、自信を持つのは難しいけれど… 「はい…。」と、誰にともなくセルイは返事をした。驚いたイウギが怪訝がって後ろを向く。 「なんだって、セルイ?」 「いえ、なんでもないんです。私事です。」 青年に相変わらず元気がないのを、イウギはまた心配に思った。体が辛いんなら、荷物俺が持とうか?そう言いかけたときだった。 お〜〜い どこかで人の声がした。辺りを見回すと川原のところでヤナイが手を振っている。すぐ側には大きめの木船が寄せられていた。 「街道はこっから先、ずっと雪路だぞ。船で送っていくから、乗っていけよ。」 イウギは勇んでヤナイの元まで走っていった。 「こんなところで何してるんだよ。仕事じゃなかったのか?」 「仕事だよ。これからこいつを麓の市場に持って行くんだ。新たな市場開拓って奴だな。ついでに冬の蓄えのための買い出しにな」 みると、確かに船の中にはがっちりと梱包された荷物がいくつか載せられていた。鑑定小屋の親父も一緒だ。取り急ぎ、ここ数日でとれた分の金鉱を、試金もかねて持ち込みに行くところらしい。ふ〜ん、とイウギはまじまじと船の中身を見た。遅れてやってきたセルイも言った。 「いいんですか?私達が乗っても…」 「いいさ。もののついでだ。それに航路の方が陸路の3倍は早いぜ。ケレナまで行くんだろ、近くで降ろしてやるから乗っていけよ。」 むろん、彼らに断る理由はない。
初めての船に、イウギはうきうきして先頭に乗った。 「振り落とされんなよ〜?」 そう言いながらヤナイは慣れた手つきで舵を取る。川はこの間の嵐で増水したまま流れも速く、冬の航路といっても水量は何の問題もなかった。水しぶきが飛ぶと、子供は歓声を上げて喜んだが、その後ろに坐る大人は寒さで身震いした。 最後尾に位置を構える青年二人はその様子を目を細めるようにして眺めていた。背中の後ろから、小さな声がぽそりとした。 「本当は少し、期待してたんだぜ」 セルイが振り向いて目を向けると、ヤナイがまた呟いた。 「あいつが……いや、あいつがあんな顔するのはあんたにだけだよな」 ヤナイはセルイの知らない間の、子供の様子を知っている。彼のために、泣いたり笑ったり、必死になって診療所の場所を聞いたりした。そんな様子をセルイは知らないはずだ。 「前にも言いましたよね。」 セルイは再び先頭部のほうに目をやると背中越しに答えて言った。 「そんなことはありませんよ、って」
…あの夜、流したあの涙は…どんな雪よりも清く美しかった。
−−第2章 完−−
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