F−9
「ヒビ…?」 はじけ飛んだ破片を前にして、彼は目を丸くした。最後に一閃走ったあの赤は、どうやら水晶自体に出来た亀裂のようだった。 すさまじい破壊音を聴きつけて、かの女弟子が暗幕の中へ駆け込んできた。 「い、今すんごい音がしましたけど、大丈夫ですか!?」 彼女としてはそれなりに心配していった問いかけにも、すぐには返事は返ってこなかった。 男ははじけ飛んだ欠片を前にして悄然としていた。 「あちゃ〜失敗したんですね。お師匠さまにしては珍しい。」 「…言ってくれるね、カイネ。君のおかげだよ。」 いつものようににこやかな笑顔ではあるものの、言葉の中には何かを堪えたような怒りが混じっていった。 その言葉を聞いて、カイネは初めてさっき転んで水晶にひびが入ったことを思い出した。 「あ!あれ、もしかして私のせいで失敗しちゃったんですか!?」 「世紀の至宝が粉々だよ。」 ふう、と嘆息してセラスは緑色の欠片を哀しく眺めた。 「え、この水晶玉そんなに高価なものだったんですか。」 「でなきゃ宝物庫の中に入ってないでしょ。」 もうとっくに怒ることもやめてしまったらしい魔術師は、外の空気を吸いに表へと出た。カイネはその背中を目で追った。 「3…そうか参差(しんし)か。そう簡単には本物の器を掴ませはしないと言うことか…。それならば…」 なにやらブツブツとつぶやいていたが、やがて合点したように回廊を歩いていった。部屋を去り際、しっかりカイネに部屋の掃除を言いつけることを忘れなかった。
「んなこともありましたねぇ。」 懐かしそうにほう、と息をもらすカイネに、セラスは別の意味で嘆息をした。 「君は失敗ごとをすぐ忘れすから、反省するヒマもないんだね。楽しそうな人生だよねぇ。」 「い、いやだなぁ、師匠。嫌みなんてお師匠さまらしくないですよぅ。」 これを聴いてますます彼は溜息をついた。 「君は気づいていないようだけど、僕はいつも君に対してそれなりのことを言っているよ。」 「え?それなりのことって?」 さすがにこの問いには彼は答えず、今まで座っていた揺り椅子から立ち上がった。 「あ、そう言えばあの時占っていたことって、結局どうにかなったんですか?」 「ん〜?まぁね。もともと目星はつけて置いたんだ。ただ確実性っていうか。そういうのがほしくってさ。」 そういわれてカイネは首を傾げる。確実性…? 「でも結局それが得られなかったから、他の可能性をつぶしておこうと思ったんだ。」 そこだけ声を低くして言ったときのセラスの顔は、楽観的なカイネでも恐ろしいと感じるような笑顔をしていた。その一言で、彼女はそれ以上訊けなくなってしまった。いや、これ以上訊いちゃいけないと直感で感じ取ったのだ。それは彼女に備わった魔術的な勘だったのかも知れない。 「おっと、そろそろゾハルさまの所へ行かなくちゃ。じゃあね、片づけ頼んだよ、カイネ。」 そう言い置いて去ってゆくセラスはいつもの彼だった。セルディア人特有の金の髪を靡かせ、悠々と去ってゆく彼は、しかし他のセルディアンとは違った毛色をしている。雰囲気というか、そういったものが浮世離れしているのだ。…それに。 彼女は三年間忘れていた、あの時の目を思い出してしまった。魔術が失敗して、怒りを抑えていたときの彼の、目。普段の碧色が消えて、燃えるような、焼いた鉄のような赤い色をしていた。あの時は気づかなかったが、さっきの彼は同じ目をしていたのだ。 だが、と彼女は思った。気づかず忘れていた方が平和なのだ。触れてはいけない世界がこの世にはある。それさえ分かっていれば、他のことはどうとでもなる。それさえ分かっていれば…。
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