F−8

 その日、カイザンネイルはセラスディアナに言われて、宝物庫の中に納められている緑水晶を取りに行っていた。
 普通の透明な水晶玉とは違って、黒とも緑ともつかない不思議な深みを持ったその水晶は、魔力が高く、先のことまで見通せるという魔道具だった。だが、その分扱いも難しかった。
 こんな物でおっ師匠さまは何を占う気かしら。やっぱり戦争の行く末?などと、考え事をしながら走っているのがまずかった。足下にあった段差に気づかずにすっ転んでしまい、盛大に手持ちの物を放り上げたのだ。台座布団から放り出された水晶玉は、堅い大理石の床と激突してガツッと景気のよい音をたてた。
 ああ〜っと叫んで玉を拾うと、縁(へり)の部分が若干欠けている。まずいな〜と思いつつも、生来楽観的な彼女は、その傷の部分を下にして、台座布団の皺と重なるように置いた。こうしておけば、ぱっと見ただけでは破損しているとは分からない。
 ま、何とかなるでしょ。と思い直して何事もなかったように、彼の研究室にそれを持っていったのだ。

 何を占うのかとこの女弟子に訊かれたとき、まぁ、この国の命運かな、と曖昧な答えをして彼女を閉め出した。この占星のために、彼は二・三日前から星地図を広げたり、アストロラーベで星の位置を確認したり準備に忙しかった。それだけ、彼にとっては大事な占いだったのだ。
 暗幕の暗い部屋の中で、まさしく彼は魔術師さながらに常人には聞き取れない発音の呪文を唱え始めた。彼がその滑らかな球体に手をかけると、水晶の中にはピンポイントで、ある星座の像が浮かび上がってきた。
「…生者の罪を計り、死者を裁く者…紅海の岸辺を襲う大風…不浄と清浄の乙女…鼓(ツヅ)…三つ子…杯。」
 言葉を紡ぐほどにその像は定義づけられてはっきりとしたカタチを結んでゆく。
「…さて、私が望む存在は、果たして誰に宿るのかな。」
 男がその細い指で球の表面をつつくと、青と赤の二つの星が三つ子の星を中心にくるくると回り始めた。
「右手に創造の水、左手に破壊の炎を持つ者…。それこそが、我が求める『器』なり…。」
 星の回転が速くなる。熱をまして、水晶全体が光り始めた。三つ子の星の光も一段と激しくなるが、やがて一番左の星が燃え尽きて脱落した。
 それを見て男はほう、と感嘆の息をもらした 。
「二つはフェイク…。本物はどちらかな…?」
 男がいよいよ術を強くしようと手を伸ばした瞬間、球の中央に、ピリッと赤い蛇のようなものが走った。
 あ、と言う間もなく水晶は粉々にはじけ、術は消えた。


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