F−3

カタリ。

 誰もいないはずの聖堂の中で音がして、それが彼の沈黙を破った。振り返ると、そこには近しい、小さな存在があった。
「セルビア、どうした。」
驚いた目で、弟を見る。辺りを見渡すが、聖堂内にはこの子一人のようで、お付きの者はいないようだ。
「お前一人か、乳母はどうした。」
返ってくるはずもない問いを、思わずしてしまう。
 今年で3つになるこの異母弟は、生まれてこの方、泣きも笑いもしないという奇児だった。
 だから普段は内宮の奥に隠されて、臣下の前にも滅多に姿を触れさせない。正妻の…皇后の実子であるにもかかわらず、瞳の色が正当な王家の者と違っているというということで、なおさら忌事として隠されてきた存在だった。自分も、この子を目にしたのは片手で数えられるくらいである。・・・そんな子が、今、この離れの大聖堂に一人で居る。
 不思議な気持ちでいっぱいだったが、彼としては妙に納得した部分もあった。脅かさないように、ゆっくりと近寄って、目線を下げる。深い、紺い瞳がじっと自分の顔を見据えていた。ブリリアントは少なからず苦笑した。
「…本当に、不思議な子だな。お前は。」
右の手で、ゆっくりと金の柔らかな曲髪を撫でる。と、気のせいかこの子の瞳が揺らいだ気がした。
「お前の前では隠し事はできんな。…そうだ。俺は迷っている。王を…裏切って、自分が帝位に就くかどうかで。」
子供は身じろぎしない。
「このままでは、いずれ国は傾くだろう。“あの男”を排さなければ。そのためには、俺が帝位に就くしかない。しかし、それは王が許さないだろう…。だから、俺は…」
ブリリアントは苦悩した表情で剣の柄を強く握った。
 ・・・だがすぐに、その手は諦めの嘆息とともに弛められるのだった。自嘲じみた笑いが聖堂に響く。
「とんだ臆病者だな、俺は。王位一つ奪う勇気もない。…俺は往くよ、北方へ。きっと…戻れぬ旅だ。」
頭の中で、王の感慨のない顔が浮かぶ。
「お前と…まだ見ぬ俺のもう一人の弟を護るために。」
そういうと、彼はすくと立ち上がった。背後にある、中央の大扉を押し開くと、朝の光が燦々と回廊に道を造った。
 光の中で彼は言う。
「…運命は変えられぬ。だが、抗うことは出来る。諦めた者の末路…よく見て置くんだ、セルビア。」
 そうして、彼は光の中へ消えていった。

 哀しいわけじゃなかった。親しいわけでもなかった。だが、確かに自分はあの日、あの場所へ行き、彼の最期の言葉を聴いたのだ。夢の中で何度でも浮かぶ。あの、光の中に包まれて消えた後ろ姿と、最期に残した彼の言葉を。


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