F−2
微かに残る記憶…。 大聖堂のステンドグラスの前で“彼”はただ、たたずんでいた。重層な装備に身を固め、その上に数え切れないほどの宝石が散りばめてある剣を携えて… 見事な宝飾の施された衣服は、しかし、彼の心を曇らせるばかりであった。彼は数日前の出来事を反芻していた。
王は言われた。 「そなたも自ら戦場に身を置き、前線の指揮を執るがよい」と。 傷を負って、滅多に人前を現さなくなった王は、陰に籠もり、何をするにも周りの言いなりになっている節があった。 王の前にかしずく自分は、確かに、玉座の傍らに“あの男”がたたずんでいるのを見た。仮面で顔を隠し、黒衣で体を覆い、何を考えているのか、何をたくらんでいるのか、まるで見えぬあの男…。当世の宮廷魔術師ゾハル。 噂によれば、120歳をゆうに越えていると言うが、実際はどうか…。嗄れた声、老体のような身のこなしをしているが、“彼”には男がもっと若い者のような気がしていた。時折見せる仕草や声色が、妙に柔らかいのだ。だが、それを確かめる術を彼は持たない。いくら栄誉(ほまれ)ある地位にあるとはいえ、彼はまだ一介の殿下にすぎなかったのだ。 (…自分にもっと実権(ちから)があれば、奴にそう好き勝手なマネはさせないものを。) 彼は心の中で舌打ちをした。それほどに、彼はこの男の事が嫌いであった。禍々しくて、巧妙で。人の心の隙間に取り入っては、いいように惑わす。まるで悪魔だ。 かつては賢明であった王が、今や見る影もなくやつれて半白となり、虚ろな声で自分に命を下している。これは“彼”にとって耐え難い苦痛であった。
声を高らかにして、異論を唱えたいのにそれが出来ない。それは、かつての自分が王に抱いていた畏怖心からなのか、それともまだ王が正気に戻ると信じているからなのか、はたまた自分もすでにあの魔術師の術に取り込まれている為なのか、判断はつかなかった。 …だから、彼は押し殺したような声で「御意」と答えるしかなかった。
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