エレバイン童話集031に関する研究報告書
      サミュエル=カルダヌフ

 『北の小さな英雄』はエレバイン童話の中でも有名であり、遠くの国の英雄譚として親しまれている話だが、一般に流布している話と、「北の探訪者」エレバインが持ち帰った原典とは大きく異なる点がいくつかある。
 現行の、一般に流布している話はヤーベ=ニコフが訳した『北のエレバイン』だが、そこには故意に省略されたり書き換えられた文が氾濫している。それはヤーベが訳者として不適格であったというよりは、むしろ優れていたからこそ、このように改変してしまったのだといえる。
 それはヤーベが韻を踏みながら、物語を捉えなおした点からも明らかである。が、私はあえてそれらを否定し、物語の中に隠された真実に光を当てたいと思う。
(ヤーベ版についてはこちらに別記する)

 ヤーベの訳した文には「沼と森の村」と「海辺の砂漠の商国」が省かれている。それはインデュースが旅した道筋そのものを省略することに他ならないが、そうするとどういうことになるのか。
 『北の小さな英雄』を読んで、我々中央人セルディアじんが感じることは、この「狂王」が我々と同種族の人間であるという自負感である。作品に出てくる「高い高い山」とはエラル山脈に間違いないから、ヤーベ版でいうと、山脈を降りてすぐある美しい平野とは、私たちが今住むセラルディアの平地ということになる。しかし、原典にある「沼と森の村」と「海辺の砂漠の商国」が登場すると、その理解は間違いとなる。
「海辺の砂漠の商国」というと、セラルディア平地よりもずっと南にあり、西海と東海、北大陸と南大陸とに挟まれて、今も貿易の地として活躍するアディプスの商都しか思い当たらない。そこは今も昔も変わらず栄え、それ故に多くの他民族からも侵略された歴史を持つ。
 もしそうだとすると、「狂王」の都はもっと南にあるといわざるをえない。そして、確かにその南の地には、滅んでしまった王国の首都が、廃墟となって今も存するのである。
 だが、ヤーベはそのことを隠したかったのではない。彼が隠したかったのはもっと別のことである。地理的にいうと、原典でのセラルディアは平地ではなく、かの「森と沼の」獣が蹂躙していた土地ということになる。そして、物語の最後では、英雄と姫は、北の故郷に帰り、そこで暮らしたかのようにヤーベ版では記されているが、原典では明らかにエラル山脈の南側で、英雄が子をなして栄えたという記載があるのである。恐ろしいことに、その子らは、我々と同じ金髪碧眼であったというのだ。このことはなにを意味するのか。
 セルディア人は800年ほど前に、この地に住み着き、勢力を拡大していった民族だが、そのルーツについてはほとんどわかっていない。北西の海からきたとも、南の大陸からきたともいわれている。
だがもし、この童話が本当だとすると、我々はこの英雄の子孫であるという可能性が出てくるのである。(あるいは、狂王の侵略軍の残党が、この地に居を構えたとすれば、我々の自負感も間違ってはいないことになるが)
 我々、誇り高きセルディア人が、北の理想郷と呼ばれる幻の王国の末席であることは、果たして喜ぶべきことなのか、嘆くべきことなのか。それは、ヤーベがこの真実を排したことからも、明らかである。
 「北の探訪者」が、いかにしてこのような物語集を手に入れたのかは、500年来の謎であるが、我々はいずれ、北の地に赴き、真実を明らかにする必要がある。
西暦オキザリスれき266年8月26日


※作中にある《絶え間ざる意志》や《根源なるもの》が何なのかは、明らかではないが、ヤーベはそれを「神」と訳している。中央人らしい、解釈ではあるが「雪原の悪魔」が仕事として通行人を惑わすことや、インデュースが姫にあかした「故郷の秘密」と何らかの関係があるのではないかと私は見ている。



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