9−6

 翌朝イウギは早速、診療所の方へ駆けていった。朝の空気はもうすっかり冷たくて雪が間近である。駆け上がる坂は、霜が氷柱をつくって土を盛り上げていた。
 イウギはその上をうまいこと通り過ぎて、丘の頂上を登り切った。赤い石造りの診療所は、ひっそりとして静かだ。鉄扉の前に置かれた石段は冷気で凍っているようだった。少年は固くて重そうなその扉を力強く叩いた。しばらくして、裏の錠が上がる音がし、眼鏡の先生が顔を出す。
「やあ、君かぁ。早いね。彼はもう起きているよ。話をするかい?」
 イウギは嬉しそうに首を縦に振った。すると医者が身を退いて彼のための道をあけた。中に入ったイウギは、この建物としては意外にも温かいのに気がついた。
「毎朝薪を焚くのが日課なんだよ。冬なんかは寒くて凍死しそうになるんでね。」
そういって医者はまた自分の部屋へと入っていった。それを見送ってから少年は一番奥の部屋へと進んだ。

 部屋に入ると、そこは朝の冷気と、入れたばかりの暖房のぬくもりとがまだ馴染みあっていない状態であった。イウギは温度の格差にぶるりと身を震わすと、白い寝台の方へ近づいていった。
「セルイ、大丈夫か?」
気遣わしげにベッドの中をのぞくと、青年は青白い顔をしながらも少しく柔らかな笑顔を向けた。
「…はい。今日は意識がはっきりしているんです。イウギさんのおかげですね。」
イウギは何のことだか分からずに、首を振った。
「俺は…何もしていないよ。何も出来なくて…ゴメンな。」
そんなこと…といって彼は苦笑する。
 青年の具合は相変わらず悪そうだった。イウギは堪らず勧告した。
「セルイ…何か薬飲んだほうがいいよ。このままじゃ悪くなる一方だよ。」
イウギのこの言葉に青年は困ったような顔をした。そして静かに首を振る。
「それは出来ないんですよ、ごめんなさい…。先程も先生とお話をしたんです。…少なくとも私の意識のあるうちは薬は使わないと約束してくださいました。だから…イウギさん、もうすこし、辛抱してもらえますか。」
 青年の真剣な言葉に、少年はこれ以上「薬を、」とは言えなくなった。代わりに困ったように溜息をつく。辛抱しているのは自分ではなくセルイの方だ。
「俺のことはいいんだよ。問題なのはセルイの体なんだから。」
そうですね…といって彼はまた苦笑する。顔色は良くなってはいないが、前よりは大丈夫そうであった。なのでイウギは宿であったことなどをとりとめもなく話し始めた。
「でさ…女将さんがすごいんだ。あんな大きな声を出し続けていられるなんて信じられないよ。ながーいこと叱ってたな〜」
「そうなんですか。お元気ですね。…そうだ、イウギさん。宿代のことなんですけど」
そういわれてイウギははたと気が付いた。そうだ、宿に泊まるには“お金”というものが必要なんだった。


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