7−5

 イウギは夜の街道をひたすら走っていた。村へではない、逆の方向へ後戻りしているのだ。…この不安をかき消すために。
 あの晩もそうだった。偽りの月が現れた最初の夜。『逃げろ』という姉の宣告に従って、一人、森の中を訳も分からず走り廻った。走って走って、ただひたすら恐ろしくて。今とどこが違う?
 今なら思う。もし、あの時自分も炎の中に飛び込んでいたら。一人だけで逃げ出さず、姉を探していたなら。もしかしたら彼女を炎の中かから救い出せていたかも知れない。いや、そこまでは出来なくても、きっと死に目には会えたはずだ。…幻などではなく。
 ぐすん、とイウギは鼻を一つ鳴らした。今でも思い出す、姉の苦悶に満ちた表情。そして、最期にイウギに一瞥をくれた時のあの、眼。強く、自分を見ていた。『生きろ』と言っていた。だから自分は今、生きている、一人でも。いや、一人だけではないから生きていられるのだ。
 村へ向かって走れば走るほど、距離が遠くなればなるほど、相手の命の種火はつきてしまうのではないかと不安になった。こうしている間に、相手はどこかへ消えてしまうのではないかと。愛する肉親や親しい隣人、生まれた故郷、すべて失ってたった一つ得られた居場所、…儚い旅の同行者。まだ不慣れなところはあるけれど、失いたくはなかった。また一人になるのは嫌だった。…だから、走る。
 矛盾しているのは分かっている。言いつけに背いているということも。相手の期待を、裏切っているのだということも。だけれど、気持ちが止まらないのだ。走れ、走れと、急げ、急げと、『また失いたくないのなら』
「っ、・・・・・・っくしょお!!」
足下の見えない夜道で、蹴躓(けつまづ)く。転ばないように無理な体勢で持ちこたえたら足首をくじいた。膝もがくがく言う。イウギは言うことをきかない膝に、怒りを込めて2・3発拳をぶつけた。心臓が、赤い血脈がドクドクと腕の下で波打っている。顔も指先も、汗でざらざらして気持ちが悪い。息が上がって、そのままでいると、気持ちが悪くて吐き出してしまいそうだ。それを抑えるためにもイウギは汗を拭って、再び走る。
 しばらくすると、まっすぐだった道が曲がりだし、カーブを描き始めた。見慣れた林と岸壁、近くで小川の流れる音もする。…それが、目指す場所が近いということを教えてくれた。
 イウギの中に、ある光が見えてきた。
(あともうすこし…あの木陰の向こうにッ)
 黒い藪の先に、はたして求めていた人の姿はちゃんとあった。真っ暗な森の中で、そこだけ星明かりが青い色を落としている。その真ん中に、樹にもたれかかってぐったりしている仄白い影。それを見て、イウギはほっと安堵の息をついた。(いた…ちゃんといた…)当たり前のことなのだが、それがどんなにか嬉しい。心が安らぐ心地さえする。肩から全身の力が抜けていき、イウギは息を整え整えその青白い影に近づいていった。


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