6−9

 どうもその日はセルイの様子がおかしかった。
「今日はできるだけ先を急ぎましょう。」
そう言っていたわりには、歩みものろのろとして一向に進まない。それに街道に出て以来、ほとんど口を利こうとはしなかった。
 ひきかえイウギのほうは空気が清浄になって気分もよく、新しい贈り物のことでますます心がうきうきしていた。この旅が始まって以来、一番うれしい出来事だった。
 老婆はしょっちゅう自分のことを「年寄り、年寄り」と云っていたのでイウギはてっきりそれが彼女の名前なのかと思っていた。それで、そのように彼女のことを呼んでみたら、思いっきり笑われてしまった。「私みたいな皺くちゃのよぼよぼのことを『年寄り』っていうんだよ。私のことは、『おばあさん』とでも呼んでおくれ。孫はそう呼ぶもんだ」彼女はそう教えてくれた。今まで年寄りという人種を見たことがなかったイウギは、そういうものかと納得して頷いた。

 天は白く覆いがかかっていて様子が窺い知れない。地上には相変わらず人の気配がない。しんと静まり返って、動的な動きをするのは風と、この対照的な旅人二人だけであった。
 はじめはイウギと並行して歩いていた青年が、徐々に遅れ始める。イウギはやっぱり荷物が重いのかと思い、また自分が持とうか聞いてみようと思ったが、なかなかその機会をつかめないでいた。青年の顔は暗く、いつものような柔和な笑顔も消えて、人を寄せ付けない空気をまとっていた。知らず知らず、イウギは青年と距離をとって先頭を歩いていた。
 しばらく歩くと街道は奥まった森のような地形へと入り込んでいった。赤膚をさらした、山が近い。近くを小川が流れているのか、さらさらとした音が聴こえてきた。
「次の町はあとどれくらいなのかな。」
わざとらしく明るい調子で言って、後方を振り返ると青年はふらふらとして今しも倒れそうであった。
「セルイ!?」
驚いて駆け寄ってみると、青年はその言葉に反応したかのように口を開きかけて、地面に倒れ臥した。あわててその肩を抱き止めると、その顔色は見たこともないほど真っ青であった。
「いったいどうしたんだよ、セルイ!」
少年は悲鳴じみた声をあげてうろたえていた。右手を額にあて、肩で息をしながら青年が苦しそうに答える。
「し、心配ないです。ちょっとした…眩暈がしまして」
「心配ないわけあるか!具合が悪いんだろ!?」
全身に汗をかき、荒い息で答える彼のその言葉に説得力はまるでなかった。
「どうしてこんなことになったんだよ、病気か!?」
「…病気、ではないです。体質というか、だからしばらくすれば直りますから。」
必死に声を押し出して、平静を保とうとするセルイにイウギは首を振った。
「無理しなくていいから!どこか…休める所。」
きょろきょろと辺りを見回して、もたれるのに丁度よさそうな樹を見つけると、イウギは彼をそこまで引きずっていった。
 いまだに苦しそうに息をしている彼を前にして、子供はひどく不安な気持ちになっていた。何か…自分にできることは。そう思って荷物を漁るが、どうすればいいのか見当もつかない。
「…そうだ、水、みず!」
とっさに思いついて、荷の中を探すが、昨日彼が携えていたはずの水筒が見つからない。ふと近くに川が流れていたことを思い出し、コップを引っつかんで少年は駆け出していた。
 音のする方を頼りに、どんどん森の中の傾斜を駆け下りてゆくと、確かに浅瀬の川が流れていた。しかしその水は赤く濁って汚く、とても病人に飲ませられる代物ではなかった。
 イウギは持っていたコップを岩に投げつけると、怒気を含んだ声で、誰にともなく叫んでいた。
「なんだよ!どうしろって言うんだよ!!」
 その言葉尻は涙で濡れていた。


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