3−9

 今朝は、イウギがドキリとすることばかり起こった。青年の言動に、ちくいち鱗が落ちた。
(涙を流すような月…)
 その言葉を聞いたとき、ひどく胸が締めつけられた。怖いと思っていた月が、急に肉親のように愛おしく感じられた。そう思えたのは、もう月が沈んでしまって、その姿を見ることがないからかもしれない。だが今は、怯え以外の感情で月と相対できるような気がした。
 突如青年が、「一度街に戻らないか」と提案してきた。少年はその意図が理解できず、また気持ちが落ち着いてきたこともあって、首を横に振った。
(今なら、村を見ることができるかもしれない…)
勇気とまではいえないまでも、少年の中で何らかの決心が起こっていた。

 そして今、彼の背中に負ぶわれ山道を登っている。
かつては村の若者と一列になって背中を見ながら進んでいたこの細い道を、たった二人で(足音は一つで)進んでいるのは不思議な気持ちであった。一心に足並みをそろえることで頭がいっぱいだった以前と違って、今のここの景色は格段に広い。ほとんどが秋の落ち葉に覆われて、急な傾斜もなだらかな傾斜も一色に染まっている。
 少年は、ほう、とため息をついた。自分が慣れ親しんだ土地、自分が生まれた所に帰ってきたのだ。何事もないような、この景色に、あの夜の出来事が悪夢のように思える。もちろん、ただの夢であってほしい気持ちは変わらない。少年はまだ、一握りの期待を捨てきってはいなかった。

 突然、青年が語りかけてきた。突拍子もないその話に、少年はただ聴いているしかできなかったが、やがて話の結末を聞くと、その話が妙に自分たちのことを指しているように思えてきた。
 自分たちは、夜の間に狩りをして、狩りの最後に湖で禊ぎをする。それは汚れを祓うためであり、獲物を一度、神に捧げて許しを乞う、儀式の一環であった。そこを、誰かに見られていたのでは、と思った。
 不思議な気持ちであった。自分以外に、自分たち一族のことを知っている存在があることを、嬉しく思った。同時に涙がにじんであふれ出てきた。もちろん、その街の人たちは、妖精などと信じて自分たち一族の本来を知るべくもないのだろうが…。それでも…と思ったその時だった。

「きっと、その妖精さんたちはイウギさんの一族だったんですね。」

青年が突如つぶやいたこの言葉に、少年はまたドキリとした。
 眼前に大きな岩が見えてきた頃だった。

 ゆくっりと背を降り、少年はこの金髪の青年を見る。
変わった容姿の、変わった人間。何のために自分にここまでしてくれるのかはわからないが、彼のおかげで自分はここまでこられたのだと思う。そして今、二人は同じ時間、同じ空間の不思議を体験している。自分は訳も分からず怯えることしかできなかったが、彼のように客観的に分析してくれる者が一緒にいてくれることは、自分にとって大きな幸いであった。
 少年は、冷静な気持ちで大きな岩と対峙した。


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