3−7

「月…。」
その言葉にイウギは身震いした。
そうだ、あの夜も月が出ていた。崖から落ちるとき、確かに目にしたのだ、・・・満月を。
 しかし・・・
(あの夜は満月をとうに過ぎた二十三夜だ。満月のはずがない…)
イウギは何か確信じみたものをもって、セルイに聞いた。
「何故…月を…見定めるって?」
とても恐ろしい事を聞くようで、相手の顔を見る事ができない。セルイは、いたってまじめな口調で答えた。
「それがですね。おかしいんですよ。暦の上からいったら、もう“月隠り”の頃ですのに、昨夜、満月を見たんです。」
 カタンッとコップの底が石に当たった。イウギが器を落としたのだ。
「大丈夫ですか?どうかしましたか?」
「…あ、ごめん。何でもない。」
イウギは急いでコップを拾うが、頭の中は真っ白になっていた。
セルイは浮かせた腰を、また元の丸太の上に戻した。
 火がパチパチとはねる。
「…それでですね、私は本当にあれが月であるのかを確かめていたんです。」
「本当の月…?」
セルイはゆっくり頷いた。
「私が思うに、あれは幻の月ですね。実体ではないんですよ。」
イウギは再び混乱をきたしはじめていた。セルイの言葉はひどく真面目なものだ。虚言を弄しているようにはみえない。
(幻の月・・・?それは何だ?あの満月は、本物ではないのか?)
 セルイはイウギの様子を窺いながら、話を続ける。
「湖を周遊していてわかったことなんですが、場所によってはその満月が見えるところと見えないところがあるんですよ。」
そういって、彼は右手を差し上げ、指で山のラインをなぞりだした。
「だいたいあの辺りからでしょうか…歩き進むごとに、満月の形がいびつになって歪んでゆくんです。そして、ついには細い、本当の月…―晦ですが―、それと入れ替わってゆくんです。そしてまた、こちら側―今私たちがいる辺りですが―にくるにつれて、また細い月が歪んで、まあるい月が現れてくるわけです。なんだか…」
セルイはそのときの様子を思い出すように、目を細めてそういった。
「なんだか、月が涙を流しているようでしたよ。」


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