3−5
完全に闇に閉ざされている。何も見えない、何も聞こえない、何も感じない…。自分が自分であることすらわからない。体は全部、闇に溶けきっていて、この空間のどこまでもが自分の手足であるようだし、どこにも自分という存在は無いようでもある。広い広い、海の夜に投げ込まれたようであった。 じりじりとわいてくる不安や焦りに動かされて、真っ暗な空間でもがき始める。自分が今どこにいるのか、どうなっているのかが解らない。この感覚には覚えがあった。あの夜の、訳も分からず夜の森を走った時の恐怖。じわじわと追いすがってくるなにか。背中に視線を感じる。巨大な何かがのしかかってくる。イウギはおそるおそる、後ろを振り返った。 そこには、大きな大きな、まんまるい月が迫っていた。彼は悲鳴を上げた。
はっ、と飛び起きたときにはもう朝だった。濃い霧に朝日が反射して、辺りを白く閉じこめている。体は汗でじっとりと濡れていた。朝の空気が慰めるように、余計な体温を拭ってゆく。肩で息をしながら少年は四方を見回した。何かがいる気配はない。波の音だけが同じリズムで胸に届いてくる。 イウギは立ち上がり、波打ち際があるであろう方向にふらふらと歩き出した。 湖は完全に霧に覆われていた。巨大な岩陰が所々、霧の海から黒い頭を覗かせている。足下では透明な水が、小石をたびたび濡らしていた。イウギはその、押しては引いてゆく小さな波に手を浸し、冷たい水をすくって顔を洗った。気持ちがいい。もう、しばらく味わっていない心地よさだった。 波が小さく「おかえり」といっている…。
前へ 次へ
|
|