2−8

 少年には、また独りになる時間が出来た。
夜には恐ろしくて開けきれなかった扉がまだある。朝になって心持ちはだいぶん落ちついてきた。今なら大丈夫だろうか。
彼は今まで意識的に避けてきた部分に、思い切ってメスを入れた。

 あの夜を、あの空を何と形容していいか分からない。森で罠を張っていた男たちは口々に叫びだした。村の方角が赤く赤く燃えていたのだ。怒声とも悲鳴ともつかない声が飛び交う。そんな渦中において、イウギは困惑することしかできなかった。背の低い彼は、炎を明らかに見ることはなかったけども、朱に染まった空ははっきりと目にした。男たちはイウギを安全な場所に残すと次々と村へ駆け出していった。そして、誰1人戻ってこない。木のうろでうづくまっていた彼は、そわそわとした気分から、だんだんと不安な気持ちになってきた。焦燥とも孤立ともつかないその不安は、その場から彼を引き離すのに充分であった。
 ためらいがちな足取りが、だんだん早く確かなものになってゆく。暗い森を構うことなく突っ切ると、眼前に熱く燃える大地が広がった。煙と黒い灰が辺りを覆い、不快な刺激を目に与える。家々は渦のような炎にまかれ、無惨な形へとなってゆく。
一瞬、獣の雄叫びのような声を聞いたような気がしたが、すぐに轟音の中にかき消えた。遠くで人の悲鳴が響く。愕然とした気分になりながらも、イウギは自分の家の在処ありかに足を向けようとした。とその時、急に耐え難い耳鳴りがして彼はその場にしゃがみ込んだ。
必死で耳を押さえる手を通り越して、静かに鼓膜が震動する。その声は、聞き慣れた、最も親しい女性ヒトの声であった。
『…来てはダメ』
『アナタは逃げのびて』『この運命から…』

『逃げて!!』

はっと目を見開くと、自分のうす汚れた膝がふたつ目の前にあった。折り畳んでいた足をのばし、彼は村とは逆の方向へ走り出した。訳も分からず、半分泣き出しながら、夜の暗い森を延々走り続けた。

 気づくと彼は、寝台の上で、知らず知らず両手で顔を覆っていた。肩が小刻みに震えている。ゆっくりと指を顔皮から引き離すと、引きつった形の足をおそるおそる指で揉んだ。息を吸おうと、大きく口を開くと、漏れるのはため息だけである。とたんに涙が出そうになった。村はもうない。なぜなら・・・
 「それ」を思い出して、彼の背筋は一瞬凍り付いた。逃げるとき、たった一回だけ、一回だけ振り向いた。背に青白い光を感じ、振り向いた瞬間、鳶色の瞳にうつったのは、美しくも恐ろしい、巨大な球体。それが村を丸ごと呑みこむであった。


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