16−17

 更にもう一つ、彼に迫る闇があった。
 どことも知れぬ、真っ暗な洞窟で、小鬼はひいひいと悲鳴を上げている。
 燃えさかる人食いの森の火事から逃げ出して、自分の躰に取り憑いた炎を何とか落とそうと、雪原の坂を何十メートル転がったか知れない。やっと火を食い止めたときには、もう、小鬼の皮膚は残っていなかったと言える。恐ろしいまでの殺傷力だ。
 もとより、“子種の発芽”に失敗したこの守部に、この先があるはずもないのだが、彼は自分が目にした光景を、主人に伝えることで、何とか命を助けてもらおうという腹づもりであった。
 灰色のフードを被った、その存在は、血のように赤い手で手前の深鍋をかき回している。
【それで・・・、守役に失敗した言い訳が立つような事柄を、お前は携えてきたというのだな】
「う…、はい、このことは是非ともあなた様のお耳に入れて置かねばと思いまして・・・」
小鬼がうわずったような声を上げる。赤く、腫れ上がった背中が空気に触れて痛むのだ。痛みはじわじわと、骨にまで至るようだった。
「わ、私は“観た”のでございます。白い…服を着た男が、剣から青い炎を出し、金色の杯から水を出すところを・・・あれは、あの器は間違いなく・・・」
小鬼が云いさしたところで、赤い手が止まった。
【“聖杯”…だと?】
「そうです!望めば何でも生み出すことができると云われる、“聖杯”です。あ、あれさえこちらの手にあれば…もう、神の手先など恐れる必要はありません。ですから…」
暗闇の存在は、しばらく沈思していたが、フードの中で不気味に笑った。
【…よいだろう。お前の命、俺が預かろう。その聖杯の持ち主の顔、覚えていよう、な?】
「は、はい!もちろんでございます!忘れたくても…あんな恐ろしい事しでかす奴の事を、忘れられるはずございません。」
小鬼は我が意を得たり、と黄色い歯を見せて笑った。
 主人の悪魔は、もはやこの小者のことなど見ておらぬ。ただ、長年追い求めていた甘美な瞬間(とき)が間近に来る事を知って、得も言われぬ優越に浸っているのだ。
【…そうだ。必ず手に入れる。必ず返り咲いてみせる。あの、輝かしい栄光の座に、我らの“罪”は“罪”でなくなる】
とたんに凄まじいほどに不気味な笑いが洞窟の中に起こった。その笑いで、いくつもの獣の目が起こされ、闇夜に光った。

−−第3章 完−−


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