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「さて、そろそろ閉館ですが、お調べの物は見つかりましたか?」 いよいよ、窓の外が紫から真の闇に移り変わろうかという境目の時刻(とき)、かのお守り役の司書嬢が半ば苦笑しながら語りかけた。 はっ、と目を上げて、イウギは何度も瞬きをした。 「あ・・・もう、夜?」 あれから、イウギの興味はエレバインからドルイドの文書集に移って、もう二冊目の半ばまで来ていた。 「あ、エレバインのことはあんまり…それより他のことが気になって…この3冊、借りてもいい?」 そういって取り出したのは、すでに読んでしまった1冊と、読みかけの1冊と、まだ未読の1冊であった。 うん、うん、と彼女は満足げな笑顔を浮かべてそれらを受け取った。子供が本に興味を持つという事が嬉しいらしい。 「君・・・、借貸証は持っていないんだね。いいや、簡易な准証つくってあげる。でもこれだと借りられる期間は3日間だから、それまでにきっと返してね。」 「うん!」 と、受付の台にかろうじて顔を覗かせたイウギが答えた。 ボーーーン、カン、ボーーーーン…と大時計の鐘が鳴った。
玄関を出ると、すぐに暮れ闇の中に走り寄る白い影を見つけた。 「セルイ!」 と子供が声をかける。 「すみません、遅くなってしまって…!調べ物に熱中して、つい約束の時間を越えてしまいました」 「ううん、丁度よかったよ、それに俺も似たような物だしさ」 そういって、借りた三冊の本を見せた。 「あ、新しく借りられたんですね?」 「うん、ししょの人が仮の貸し出し証つくってくれた」 和気藹々と話す二人以外には、この石畳の坂を下る者はいない。静かな、静かな夕暮れ闇だ。
セルイはこの日だけで3年分の記録を読み漁っていた。年代的には一番目星をつけていたところだけに、何の収穫もないのは、この街の記録の中に、この子の兄弟を見つける可能性はゼロに近いことを示していた。…といっても、この街をその兄が通ったかという可能性にしたってそう高い物でもなかったのだが・・・。 しかし、その後の二日間にわたる、役所がよいにも、青年は手を抜いた訳ではなかった。なんとしてでも、あの子の兄弟が生きているという証を、あの子に示してやりたい、そういう気持ちが彼を駆り立てていた。それを探し出すことで、自分の・・・・・・いや。 一方のイウギは、セルイが外へ出ている間、部屋でおとなしくしていた。一人で本を読む分には、図書館でもこの部屋でも変わりはない。むしろ、ここで彼の帰りを待っていた方が、青年にとっても安心であろう。 イウギは持ち前の根気強さで、3冊の本をあっという間に読み終えてしまった。しかもそれに飽きたらず、何度も復唱している。本を返す期限が来る前に、本に書かれていたことをほとんど暗記してしまったのは、この時期の子供の能力(ちから)というべきであろう。それでも、1ヶ月も経てば、そのうちの何割を正確に覚えているやら、というところではある。そして、
「あ、ゼフライト様。今日、巡視からお戻りに?」 「うむ、東方の森が焼けたと聞いて、数日はやく切り上げてきたのだ。だが、この街にも近隣の村にも、変わりはないようだな。」 「ええ、一時は大騒ぎでしたが、特に被害も出ませんでしたので。あのあたりの森は、なかなか人の手が入りにくいところでしたが、ああも更地になってしまっては、今後よい畑にもなりましょう。」 冗談めかして、この堂々たる貫禄の武官を迎えたのは、かの国立館の館長である。自分の寂しげな頭皮と比べ、ゼフライトと呼ばれた男の立派なヒゲやもちろん、根深そうな白髪などを羨ましげに眺めながら、執務室に通してお茶を出した。 「そうそう、閣下のいらっしゃらない間に珍しい方がお見えになられたのですよ。なんと、オクスハイムウェルの騎士団の方で、この街で調べものがあったとか。」 「なに、騎士団の?それは珍しい、この時世、私兵は増えても皇国団員の数は減る一方だというのに。どんなお人だね」 「それが、結構お若い…歳は聞きませんでしたけども、20代行くか行かないかという…」 ここにきて、ゼフライト氏は、はて…と眉を潜めた。20代…?そんな若い騎士が、騎士団にいた覚えはないが。 彼は街の兵団員を取り仕切る隊長格である。それ故、軍部の、特に上層部には顔が広い。指揮官クラスはほとんどが貴族なのだが、オックス騎士団は出自に囚われぬ、文武の実力派だ。当然年齢も関係ないが、それだけに入団以前の功績が問われる。そして、そんな若いうちから武勲を立てられるのは戦時中以外にはなく、この国ではそういう事態から遠のいて久しい。それにそのような人材ならすでに内部で騒がれているはずだ。 「本当に、その者は騎士団員だったのかね…?」 「え、ええ。剣は間違いなく本物でしたよ。お名前も、刻印された番号と一致していましたし…」 将軍閣下が未だに難しそうな顔をしているので、男は慌てて閲覧許可の紙を引っ張り出してきた。 「ほら、この方です…」 渡された白い紙を眺め、ゼフライトの顔はいよいよ鬼気迫る表情になってきた。睨め付けるような眼で、紙に書かれた筆記の名前を見ている。 「生きて・・・いや、戻ってきたのか・・・??」 巌のように固まって、ぴくりとも動かぬ表情は、子供が見たら泣き出してしまうであろう豹変ぶりであった。 傍らでこれを見ていた中年の男はすくみ上がっている。
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