16−14
次の日の朝、予定通りイウギは図書館にいた。 セルイとは、受付の所で別れたが、その際彼は、この館の司書だという女性を紹介して去って行った。 「エレバインのことを調べているのは君かな?学校で課題にでもなった?」 小柄だが、大人びた口調の髪の短い女性が笑いかける。“がっこう”もなんだかわからないイウギは素直に首を振った。 「ううん、ただ単に、興味が湧いて。ねえ、この本以外にもエレバインの本、ある?」 返却予定の本を受け取って、彼女は更に顔をほころばせた。 「あるわよ、研究書も含めていっぱいね。君がもう読んだこの本は代表的な物だけど…そうね。児童向けの本は、元々この本に収録されたものを取り出してわかりやすくしたものばかりだから、これよりはちょっと難しくなっちゃうけど、いいかしら?」 イウギは深く頷く。 彼女はイウギの先頭に立って、館内を案内しだした。この親切そうな女性は勤務歴も長く、なかなかに勤勉であったため、よく館内の蔵書のことを把握していた。目録のカードを探さなくとも、ある程度有名な著作物の配架位置を頭で記憶している。彼女とイウギの腕は、見る見るうちにエレバイン関連の書物でふさがっていった。 「ちょっと多すぎたかしら。私はすぐそこで別の仕事をしているから、読み終わったら教えて頂戴。ほら、そこの席を使っていいから。」 そこは大人用の席であったが、他の区域と仕切られており、テーブルも広い。何か作業をするにはもってこいであった。「本は脆い物だから、扱いには十分気をつけて、」といった彼女はしかし、子供と大人を差別しない人物でもあった。イウギが再び深く頷いて席に着くと、彼女もまたその後ろの職員用の席で何やら業務関連の整理をし出した。 図書館の外はよく晴れており、館内は灯り無しでも十分明るい。
彼女が用意してくれた書籍は確かに難しい物だった。文字を覚えたてのイウギには読めない文字がかなりあるし、意味の分からない部分も多くあった。それでもエレバインを研究対象とした本には、結局の所、彼の正体は“よくわからない”ということで決着しているらしかった。付録に付いているエレバインの経略をバラバラと広げる。やはり30−50歳の間に「北の地探訪か」とある。彼がそれまでの経験を元に執筆を開始したのは60を過ぎてから、およそ20年間にわたって書き続け、最後には獄中で果てたらしい。そのころの教会の弾圧は苛烈な物であった。 しかし一説には、教会は他の教派と差をつけ、聖人達の逸話を独占するためにエレバインを教区内に保護したのだともいう。実際、彼の執筆活動は獄中に置いても止(や)まなかった。そこにおいて教会が彼から回収した秘話は、貴重な文献として後世、新たに『発見』されることも少なくない。その書き記された書物自体に、不思議な力が宿り、それを手にした物は強い支配権を持つという・・・のは、よくある伝説の類だが。なんといっても、彼が文学界、はては神秘学に遺した功績は大きい・・・。 むぅう、と唸ってイウギは分厚い本から手を離した。集中力の限界。ここまで粘ってみたが、自分の知りたいことはつかめなかった。“彼”が何故自分の故郷を知り得たのか。そして、立ち戻れたのか、である。600年前というと、第20代皇帝の頃か。そのころには、外部との交流もほんのわずかだがあったのかも知れない。 (…『吹雪の白魔』は善人には手出しできないモンな) そんなことをぽつりと思った。それでも極寒という土地の条件は変わらないから、その探訪者とやらは、よほど頑強な肉体を有していたか、魔力があったかのどちらかだろう。 半ば諦めた気分で、イウギは別の類の本も開いてみた。彼が前半生で関わったというこの土地の異能集団『ドルイッドの言葉集』である。セルイから習ったこの国の文字とは別の言葉で、何やら文が綴ってあるが、その傍らには発音記号も載っている。文字と共に、発音記号も参考にしつつ表を見比べての読書を経たイウギにとっては、むしろ一般人よりも今は発音記号について親しみがあるかも知れない。 「ア・ヴェ、・・・ブェ?」 思いがけないことに、当初の目的とは違ったところで、また新たな興味に引っかかったイウギであった。
前へ 次へ
|
|