16−11
“北の探訪者エレバイン”は今から600年以上前に各地で活躍した蒐集家である。自身も優れた詩人であるが、彼が特に意欲を燃やしたのが外国での説話収集である。森の賢人、ドルイッドの集団とも交流を持ち、その秘技(口承)も体得したと言われる彼は、しばしば教会側からの弾圧を(死後の後世に渡っても)受けたが、彼の収集した話の中には教会が擁立する賢人、聖人の秘話も多く存在し、完全にその著作物を廃しきれるものではなかった。よって、彼が集めて編纂した著書は、多くの人の知るところとなったし、あらゆる文学にも影響を与えている。 中でも、彼が30〜50代の間(といわれる)に訪れたという『北の幻の王国』の話は、神秘に満ち満ちており、人々の関心を強く惹いた。 そこで謳われる人々の生活は、正に“理想郷”のそのものであり、女はいつまでも美しく、男はいついつまでも若々しく、飢えもなければ病気もないという。 そのあまりに現世離れした構成から、これはエレバインの『創作』ではないか、といわれる事がよくあるが、真偽の程はわからない。幻の国の存在を信じて、北へ渡ったものも多くいるが、激しい寒さと乾きによって旅を断念せざるを得なかった。しかし、中には幸運にもその理想郷へ足を踏み入れることが出来た、という者もいるという。いづれにせよ、人々は、エレバインの物語によって、北の幻の地へ、想いを馳せずにはいられないのである・・・。
とまあ、この本の冒頭で解説されている文はこんな所である。この本の発行年は、40年近く前だから、このころにはその“王国”が、自分たちの子孫の手によって滅ぼされることになるとは、夢にも思っていないだろう。 イウギはこの部分を読んで、多少複雑な気持ちになっていた。自分たちの国の秘密が、こんな形になって外の世界に流布していたとは思いも寄らなかったからである。自分が急速に多くの秘密を抱えていることを知って、内側から冷や冷やしたものがこみ上げてきた。 ふと、青年のほうを見ると、彼は黙然と剣の汚れを落としている。 イウギは布団の上で深呼吸した。落ち着け、たとえ知られても、もうどうすることも出来ないじゃないか。そんなものは、“カケラも残っていない”のだから・・・。 (己れ一人がすべてを知っていたとしても、それが今の世界に及ぼす影響は皆無だ) …自分の存在が、その“カケラ”に入ることは考えもせずに、イウギはそのように自分の中の焦燥を落ち着けてから、また本のページを繰りだした。
確かに、この本には、、自分の故郷の話が多く載っている。どれもこれも、自分が姉から直接語って聞かせてもらった話ばかりである。彼女と過ごした日々は一年足らずだったけれど、多くの物語と教訓を、彼女はこの身に遺していってくれた・・・。今更ながらに、そんな風に思う。 それにしても、この本にある説話の数々には驚かされる。このような異国の地で、このような形で、自分の故郷が語られていようとは・・・イウギ自身だって、異郷の地の生まれではある。理想郷として語られるその故郷、故国の情景を知るわけではない。しかし、この著者は、明らかに一族の故郷に足を踏み入れ、その情景を目の当たりにして、この話を綴っている。イウギにだけは、そのことが確信できる。 故郷の人達は、自分たち一族の存在が余所へ漏れることを極端に嫌っていたはずなのに、これはどういうことだろう。一族の総意に反して、ここまで詳しく自分たちのことを書き連ねることが出来る、エレバインという人物は、どんな人だったのだろう。 イウギは、文字以外の部分でまた新たに強い興味が湧き起こるのを感じた。
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