16−8

「セツ、村にいたときより全然楽しそうだった。よかったな!」
「ええ、これからは人並みに働いていくんだって、おっしゃってましたね・・・」
目を細めるように、路地の石畳の先を見つめるセルイに、イウギはしばらく黙していたが、あ、っと思い出したように突然別のことを質問しだした。
「セルイ、セルイ、あそこの、あの大きな丸い屋根の建物は何だ?」
 そういって子供が指さしたのは、2〜3階建ての民家がきっちり肩を並べる路上を歩いていると、嫌でも目に付く屋根の向こう側にそびえる塔のようなもの。イウギはこの街を歩くうちに、これがいくつもあることに気づいて気になっていた。
「ああ、あれらは図書館ですよ。この街では資料の蔵書に熱心なんです。」
「としょかん?」
「簡単に云うと、たくさん本が置いてあるところです」
「ほん」
と子供は目をぱちくりさせた。この様子に青年も子供の疑問に気づいたようだ。
「行ってみてみますか?」

 街に泊まって数日、多少建物の配置に詳しくなったセルイが向かったのは第二分館であった。辞書や、百科図典、児童書などもおいてあり子供には親しみやすいと思ったのだろう。第一分館には目録や一級資料の写しなどがあり、学者や施政者の秘書にはいいだろうが、子供の興味にはあたらないし、第三分館はここからだと遠い。ちなみに原本や貴重資料は国立中央の本館にあり、一般人では容易に立ち入ることも出来ない。
 こんな訳で青年は、子供をこの落ち着いた雰囲気の建物へと案内した。第三分館のように、観光客を意識した過度な宝飾も為されていないかわりに、大理石の床とニス塗りの木柱や窓枠が昼の日差しを受けてまどろんでいるよう。赤い絨毯が、利用者の足音を吸い込んで、人もそこそこ出入りしているにも関わらず心安い空間を提供してくれる。
 イウギは天に届きそうな(子供にはそう感じた)吹き抜けのドーム型の天井を見やると、ほうと溜め息をついた。こんな大きな建物は初めてである。
 セルイが、手を引いて児童書の書架が集まる場所へと連れて行ってくれた。薄暗い中に、はめ殺しの縦長の窓が2〜3メートル置きに覗いて居、その前には低めの椅子とテーブルが一卓二脚の割合でおいてあった。その背後はもう、ひたすら本棚の列・列・列である。
 その中から、手頃なものを一つ青年が取って渡した。
「これが本ですよ。紙をこうして束ねて、厚い板ではさんで綴じるのです。こうすることで、たくさんの文字が書かれたたくさんの紙を、こう、通して見てゆけるのですよ」
そういって、本のページをぱらぱらとめくっていった。その中の“文字という奴”にも、イウギは凝視していた。
「イウギさん。字は読めますか?」
「ううん、こんな模様、初めて見た」
子供は無表情なほどに、真剣に、この“模様”の羅列を眺めている。
「じゃあ、基本の発音から教えましょうね。この文字一つ一つが、人間の口から発する音を表しているのですよ。それをつなげることで、人が話す意味ある言葉を、こうして目で見える形で保存してゆけるのです。これがあると便利ですよ。大昔の人が言ったり考えたりしたことが、こうして形に残っているので、現在(いま)の私たちにもその人達の思っていたことがわかるのです。」
言って青年はひときわ大きな本をもって来、脇に広げて見せた。そこにはこの国で使われる一通りの文字記号が表になっており、発音記号も一緒に書いてある。二人は日の暮れるまで、その表と、簡単な文章を見比べながら発音と暗記をしていった・・・。


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