16−6

 イウギが残りの体の部分も洗い終えてしまうと、セルイは湯を外に捨てに行った。
 あるいは前以上に、すべすべとした腕をさすりながら、イウギは改めて部屋の中も見回した。どうも、自分がついこの間までいた町の宿とは別物のようである。窓の外の景色も、やはり違う。
 自分が記憶している宿の外は、石畳はなく土の上に雪がつぶされてへばりついており、町並みはもっと建物同士の間隔が開いた、まばらな感じだった。斜面も、こんな急な物ではなく、むしろ真っ平らに近かった。なんにせよ、ここはイウギの初めて見る風景である。
 ガラガラガラ、と音を立てて馬車が通る。ゴーンゴーンゴーンと、思い出したように鐘の音がなった。イウギはこの音を知っている。ルツェの町にもあった、教会の午後の鐘という奴である。
 木の扉を開けて、セルイが戻ってきた。
「ここは・・・俺達が泊まっていた宿じゃないんだな」
イウギが辺りを窺うように見回して言うと、セルイは、あ、と思いだしたように言った。
「そうなんです。ここはもう、ケレナの城壁の中なんです。イウギさんが寝ている間に…宿を替えてしまったので」
「ふうん…」
といった、イウギの返事には元気がなかった。あの…なにか、とセルイが俄に心配になって質問する前に、イウギがぽつりと呟いた。
「じゃあ、セツにはもう会えないんだな」

 あ、そのことなんですが…と切り出したセルイの言葉を聞き終わるや否や、イウギの表情はぱっと明るくなって、
「じゃあ、セツは此処にいるんだな、この街に!!もう、あの暗い村の中で暮らさなくていいんだなっ!?」
「はい、イウギさんのお陰だそうですよ」
「じゃあ、今から行って会える?」
と言ったものだ。
 まだまだ体が本調子ではないはずなので、今日の所は押しとどめたセルイだったが、本人が一も無く二も無くという感じだったので、翌日には子供を伴って、青年はセツからあらかじめ聞いて置いた玩具工場(こうば)へと足を向けた。
 目的地に着くまでの子供のはしゃぎ様は大変なもので、長らく一緒に旅をしてきた青年も目を見張るほどであった。
(いつの間にこんなに親しくなられたのでしょう・・・)
青年にとっては、驚きというよりも、素直に意外な感じであった。
 工場は街の中でも西側の入り組んだ職人街の中にある。工房や材具市場が建ち並び、小売店は城門に近い東側にあって、業者はこの地区から仕入れを行ったり、逆に搬入したりする。
 裏路地のような所を幾重も巡って、セルイは地図を片手に屋号を数えていた。小売店と違って看板があるわけでもない。通路の端から、何番目にあるかで、その工場かどうかがわかるのである。
「あ、多分あちらですね」
いってセルイが指した先には、オレンジ色の灯りが漏れる、比較的開け広げな造りの建物があった。2階建てで、1階はガレージのようになっていると言ってよい。
 小走りに駆けていった子供が中を覗くと、巨大な机の脇で何人かの男が働いていたが、その中に、小さな椅子に腰掛けて熱心に材木を磨いているセツの姿があった。
「セツー!」とイウギが声をかけると、若者が顔を上げてこちらを見た。一瞬「まさか」と思ったのだろう。彼の見開かれた黒の瞳には元気に手を振る子供と、深めに会釈する青年の姿が映っていた。


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