13−2
「私はこの土地の出身なんです」 そう言うと青年は屈託のない笑みを子供に向けた。 イウギは訊きたいことの一つを手に入れて、それ以上詳しい質問をする勇気が起きなかった。だから青年の次の言葉を待っていた。 「とはいっても、この辺りで生まれたわけではないです。私の生まれた場所は、ここよりずっと南西のほうの大きな町なんですが…」 そう言って彼は、その方角に向けて目を細めた。青い空と、白い地平の二層が横たわっているだけの風景だが、彼にはそれ以上の景色が見えているに違いない。 「でも、そこへ行くつもりはありません、この旅では。」 「えっ…」 思った以上に歯切れの良い言葉に、イウギは目を丸くした。てっきり彼はそこへ帰るつもりでいるのだと思っていたからだ。この旅の終着点へ…。 だから、その言葉はイウギにとって意外であった。じゃあ、世界中を旅してきて、ここへ戻ってきた理由ってなんだろう・・・。それとも、自分が原因で故郷に帰れないんだろうか…。 イウギも青年も、それで黙ってしまったので、この話題はここで切れた。
右を向いても、左を向いても純白の水平な大地が横たわっており、人の姿は全くない。天気は悪くなく、山の生活では信じられないほどに落ち着いた気候である。 その大きく平らかな大地に歩を進める二人は、はじめ饒舌に語らいながら轍(わだち)の残る街道を歩いていたが、やがて無言になっていった。車輪や人足に踏まれたらしい雪の溝は溶けて、街道の湿った砂利が顔をのぞかせている。時々太陽の光が当たるのか、小石の鏡面がキラキラと光った。 春の雪解け時のように、ここの雪は薄くて脆い。こんな控えめな積もり方をする雪は、イウギは初めてだった。だから面白半分にくしょん、くしょんと音をたてて、足の裏で残雪を水に返し始めた。日はまだ高く、次の村までもまだだいぶんあった。 どんどん先を往くと、やがて裸になった雑木林が見え、その脇を抜けると今度は小さく盛り上がった墳丘のような森が眼前に広がった。その入り口の手前で道は二俣に分かれており、セルイは分岐点でしばし立ち止まった。 「え〜と、どちらに行った方が近かったかな…」 おもむろに使い慣れた地図を取り出すと、針を探すようにその図柄に見入り始める。 イウギはそれを待つ間、目の前の茂みについて少しばかりの探索を開始した。 一歩、茂みの中へはいると、そこは昼の光も通さず陰鬱とした暗がりだった。周りの雑木が人の手の入った広葉樹であるにもかかわらず、ここの林、いや森は不規則に葉の枝を茂らせ、やや腐食のにおいを漂わせていた。近くに沼か水場があるのかもしれない。枯れた黄色い蔓が蜘蛛の巣のように木々に罹って、触手を伸ばしている。土もぬかるみ、デコボコして足を取られそうなので、イウギはあわてて近くの木の枝に身を寄せた。ドキドキして、足がもつれる。「なにか」が足にからみついて引っ張ろうとしているんじゃないかとさえ思った。 長くいてもあまり居心地のいい場所ではないので、彼はすぐに探索をやめ引き返そうとした。 だがその瞬間、急激なめまいに襲われ、その場に立ちすくむ。みるみる視界が歪んで、真っ暗になる。景色の一切が黒か灰色に見えた。顔に何かかかったのかと思い、強く目をこすってみるが変わらない。それと共に、キイィィーーーンという強い耳鳴りがして、片膝を着くかと思われた。
「イウギさん?行きますよ?」 そこから自分を救ったのは青年の声であった。一瞬で耳鳴りが病み、視力が戻ってきた。それで少年は慌てて茂みから飛び出し、青年の元へと走り寄った。だが茂みを出てわまりを見ると、辺りの景色は先ほどよりも暗さを増して、陰鬱な空気に包まれているような気がした。 空を見上げて青年が言う。 「日が…隠れてしまったみたいですね。雲も増えてきました…これから気温がどんどん下がります。いそいで次の村に向かいましょう」 イウギは強く頷いた。心臓がどきどきしていたが、そのことは青年には隠しておいた。変なことを言って彼を困らせたくない。 イウギはもう一度、茂みの方を振り返った。相変わらず虚ろな闇を抱えた森の入り口はぽっかりと口を開けている。イウギは身震いして、街道に戻った。
…開けた土地なのに、何故だろう。ものすごく陰鬱な気分にさせられる所だ。道を折れて再び農道に着いたとき、イウギはそんなふうに思った。 相変わらず周辺に人の姿はない。それどころか、生き物の気配も薄い。先ほどのキラキラとした白い景色とは明らかに違うのだが、実際にどこがどう違うのかはわからない。青年の言うとおり、天候の悪化が原因なのかも知れない。 少年はなんだか悪気分にさいなまれながら、青年と並んで歩いていた。彼の話によると、もう少し行ったところに“ロッソ”という村があるのだそうだ。出来れば今日は、そこに宿をとりたい、という話だった。 しばし歩きつつ、時々青年は子供に話しかけた。だがどうも子供の様子に先程の元気がない。イウギの答えが薄いことに、セルイは首を傾げた。 (先ほどはあんなに活発でらしたのに・・・) 子供はうつむき加減で道を歩いた。青年もその様子を気にかけながら、先を進んだ。
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