12−3
その日はなんだかおかしかったのだ。昨夜の嵐にしてもそうだが。真っ暗な部屋のぴしりと閉じた窓を開けると、空気は生暖かく、太陽は目を覆うように眩しかった。 「すっかり晴れたようだね。体の調子はどう?マーシャ」 そう言うと、医者は足下の寝台の中身を見た。その寝床は通常より随分低い造りで、幅広である。落下しても大したケガをしないように造られているのだ。 「先生・・・?今日はなんだか変なの」 「うん?」 寝台の縁に腰をかけると、医者は聴診器をあてて様子を見ようと手を伸ばす。だが少女は勢いよく起きあがると、背筋をピンと伸ばし相手の方に向き直って顔を見せた。そのあまりにも快活な様子に、医者の方が動きを止めた。 「マーシャ?そんなに動いて大丈夫なのかい?」 「うん、今日はとっても体の調子がいいの。何処も痛くないのよ。もしかして・・・・・・治っちゃったみたい。」 戸惑いぎみに、しかし嬉しそうに少女はそう報告した。
他の患者についてもまったく同様であった。神経痛を訴えていた者、肌に発疹が起こっていた者、失明寸前だった者が、その症状もすっかり消えて、元気に病室を歩き回っている。診療所内はすっかり活気づいて嬉々とした会話が湧き起こっていた。状況についてゆけないのは医者の方である。傍らでひたすら頭を掻いているしかない。 「いったい・・・これは、何が起こったんだ?」 目の前の信じられない光景に、彼は昨夜の会話を反芻していた。 暗い部屋に、すっくと立つ白い上体、彼はこれまでの混濁が嘘のように、しっかりとはっきりとした口調で医者に応対した。 「嵐が来ると…あの子にそう言ったのは君だね。何か根拠があってのことなのかい?」 「はい」 躊躇うことなく青年は即答した。 「先生にはわがままばかり言って申し訳ありません。ですが、大きな嵐が起ころうとしているのは事実です。早いところ所内の戸締まりを厳重にすることを提言(おすすめ)します。」 …この青年は、こんなにもきっぱりと物事を言う人物だったのだろうか。なにか、疑問を挟み込んだり、批判をしたりということが容易ではない雰囲気を持っている。この男ですらも、そうだった。 「…そうか、なら君の言うとおり、戸締まりを早いとこした方が良さそうだ。」 のそのそと、腰を上げると頭を掻きながら部屋を出ていった。青年はその後ろ姿をしっかりと見届けた後に、その目を閉じた。
すっかり、元気を取り戻した患者たちが次に望んだことは、自分の家に帰ることであった。医者が、様子見もかねて診療を続けるために、もう少し残って欲しいと説得したが、通院はするから早いところ帰らせてくれと多勢に無勢で押し切られた。畢竟、彼は患者一人一人を自宅まで送って家族に事情を説明してまわるハメになった。この病気は鉱物中毒からくるものだから、伝染するおそれはないこと、症状が消えた以上、もう心配はいらないことなどを自分でも内心首を傾げながら話してまわった。 最後の一人を送り届けて、彼が診療所の坂を上る頃には昼になっていた。自分の無能さにある意味うちひしがれながらの帰途である。洞察力に長けた彼が、傍らに流れる新規の小川に気づかなかったほどだ。坂を上りきったところで、漸く彼は頂上に踞る白い影を発見した。 そうだ、自分にはまだ患者が残っていたのだ。
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