12−2

 畢竟、イウギは何も質すことなく赤い水の入った盥を持って、青年の後をついていった。真っ白い敷布を纏って廊下を行く彼は、まったく自分のペースで歩いて往く。イウギは水を零さないように歩くので精一杯だった。
 やがて、表の玄関扉の前まで辿り着くと、セルイは初めてその扉に手をかけ、押し開いた。真っ白な陽光が目の前を照らす。彼が診療所(ここ)に来て、最初の外だった。
 開いた扉を押さえたまま、セルイはイウギを誘(いざな)った。段差に気をつけながら、イウギが地面に降り立つと、セルイは坂の方を指さして言った。
「その水を、あの坂の上から流してください。」
イウギは青年を振り仰いだ。汚水を棄てろという意味なのだろうか。ならば、何故わざわざ坂から流すのか。やっぱり意味が通じない。
 困惑しつつも坂の降り口の部分に立つと、坂の先にはあの川が見えた。坂の横手には鉱山町がめいいっぱい広がっている。盥をどっかりと地面に降ろすと、イウギはもう一度セルイの顔を見た。青年は相変わらず邪気のない笑顔で子供の一挙手一投足を見つめている。
 困惑し首を傾げつつも、イウギは一息おいてから、一気に盥をひっくり返した。
 赤い水は見る見るうちに、坂を滑り落ちてゆく。イウギはぼんやりとその様を眺めた。水の勢いは留まるということを知らない。真っ直ぐに坂を下りきると、やがて川と合流するところまで行った。そこまで見ていて、イウギはやっと奇妙なことに気づいた。坂の水の流れは、いつまで経っても消えない。それどころか、勢いを増して麓の川へと滑り込んでゆくのだ。
 ふと、自分の目の前の地面へ視線を落とすと、そこには小さな泉が出来ていた。赤い、濁った水は消えて、透明な清水が湧き起こっている。イウギは目を丸くして飛び退いた。さっきまでは確かに、ただの地面だったはずなのに!
 一方のセルイは驚く様子もなく泉に近づき、イウギの手を取ってそのまま水に両手を埋(うず)めた。
「この泉はイウギさんのものです。貴方の願いが、こうして形になったものなのですよ。」
セルイの声を間近に聞きながら、イウギは目の前の泉をじっと見つめた。水が、冷たくて、透明で、気持ちいい。ずっと、その中に潜んでいたい。深々と腕を沈めると、水脈は何処までもその懐の深さを見せてくれた。
「貴方の手で、完成させてもらいたかった。」
そう囁いて、青年がその場を立ったので、子供もそれに倣って泉から手を引いた。
 セルイは今度は、泉の水が合流した川のある地点を指さしてイウギに言った。
「あの川の所まで降りて行って、この泉の成果を見てきていただけますか。きっと、うまくいっていると思うんです。」
何を意図してそんなことを言っているのか、未だに分からないままだったが、イウギは先程よりも自然にその言葉に頷くことができた。これは、自分に課せられた使命なのだと雰囲気で感じ取っていた。

 青年の言葉通り、麓の川縁まで駆け下りてくると、果たして川の水は昨日の嵐で増水しており、川床のあの赤茶けた石をすべて押し流してしまっていた。しかし、川の水にはまったく混濁がなく、あの泉の水と同じように澄み切っていた。イウギは再び川の中に足を入れると、川の中央にまで漕いでいった。すっかり洗われてしまったらしい、川の水を見ていると、なんだかのどが渇いてきてイウギはその水を掬ってそのまま呑んだ。無味無臭の水が、喉通りもよく内部へ滑り落ちてゆく。満足して、ほう、と息をもらすと川床がキラキラと光っているのに気づいた。例の、丹粟だろうと、それを掬ってみてみると、それは赤い細宝石ではなく、山吹色の重金属だった。

 その時、ヤナイが慌てた様子で山の方から姿を現した。そして、川の中でイウギの姿を見つけると、嬉しさを隠しきれない様子でこういった。
「坑道で金が見つかったぞ!!」


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