11−9
扉を叩いたものの、いつまで経っても応答はなかった。いつもならすぐに、閂を上げる音がしてあの眼鏡の先生が顔を出すというのに。不審に思ったイウギは、そのまま鉄扉を押してみた。すると、扉は難なく開いて、奇妙な音を立てながら、正面の真っ直ぐな廊下を示して見せた。 「センセイ・・・いないのか?」 イウギは声をかけるが、やはり返事はない。不気味なほどに、建物の中は静まりかえっていた。 一応、診察室を覗いてみたが、白衣の姿は見えない。一体何処へ消えてしまったものだろう。彼がこの仕事場を離れるなんて、そんな事があるのだろうか。 なんだか、おかしな違和感に、イウギは戸惑っていた。机の上は乱雑で、銀のトレイの中には検診用の道具なんかが使用済みで転がっている。椅子は蹴倒されているし、書類を引っ掻き回したような跡もあった。これだけ人が居た気配が濃厚なのに、肝心の人の姿が見当たらない。 イウギは段々と不安になってきた。 「だれか、誰かいないのか!?」 大声を張り上げながら、廊下に躍り出る。と、いつもは閉まっている壁側のカーテンが、みんな空け開かれて部屋の内部を曝しているのに気づいた。…部屋の中には寝台がいくつもあって、そのどれもが空である。だが、つい今し方まで人の使っていた跡がくっきりと残っていた。 イウギは背中をぶるりと震わせた。 …ふいに、今朝の夢で聴いた唄が思い出された。震える唇で、意図せずにそのメロディを口ずさむ。 …見てはいけない…けっして、声を立ててもいけない、でなければ…? 『キット一緒ニ連レテカレテシマウカラ』 「そんな…まさか…」 よろりと身をふらつかせ、イウギは壁にもたれかかった。 だってだって、“彼”は嵐が去ったらみんな良くなっていると言ったじゃないか。「辛いのはこれでおしまいだ」と・・・辛いのがなくなるということは、辛い思いをしている人が“みんな消えてなくなる”ということだったのか?? 「…そうだ。そうだよ、彼は!?」 必死で気力を振り絞り、イウギは廊下の奥へと進んだ。明るいはずの窓が、ぴかぴかに磨かれた廊下に映って落ち込んでいきそうな異相空間を作っている。その反転した世界にもイウギ一人しかいなかった。 イウギはもう何も見たくなかったので、目を瞑って廊下を走った。ウソだ、うそだ、と呟きながら、これが夢であることを信じて願って。 …前にもこんな事があった。燃えさかる炎の中、黒く焼けこげてゆく同胞たち。恐ろしい化け物たちに飲み込まれてゆくその残骸。そして姉。確かにすべては幻だった。けれど、夢でもなかった。決して夢で終わってくれはしなかった。
目を開けてもやっぱりその長大な扉はしっかりとあった。右折路の奥まった所にあるこの部屋は、窓の光も届かず少し影って見える。 イウギは胸の動悸を抑え、おそるおそる扉に手をかけた。固唾を飲み込みゆっくりと取っ手に圧力をかける。戸は笑ったような音を立てながら、訪問者を中へと招いた。何度目だろう、この扉を開けるのは。 イウギは息が止まるかと思った。
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