11−8
唄が聞こえる、遠いどこかで。
…雨がすべてを洗い流すよ。
聴いてごらん、あの歌声を。
耳を澄ませてごらん、あの音楽に。
…でも見てはいけない、けっして。
声を立ててもいけない、でなければ
きっと一緒に連れて行かれてしまうから。
どこかで唄が聞こえる。陽気でしかも儚げで…。一体唄っているのは誰?悲しそうに口ずさんでいるのは誰なの?一体何に、誰に連れ去られるというの…?ねえ、答えて、答えてよ…。
「ねえさん・・・」 自分のうわごとで、イウギは目を覚ました。 目の前にあるのは真っ白なシーツ。そして自分の拳。手の中にはしっかりと、あの守り袋を握っている。 意識がはっきりして来るにつれて、イウギは自分が角部屋の寝台に横たわっているのだと気がついた。窓の外はすっかり朝で、小鳥のさえずりがもれてくる。がばっと身を起こしたイウギは固く閉めていた窓の戸を開けた。と、そのとたん大量の光が部屋になだれ込んできた。 嵐は一夜のもとに、すっかり晴れ去っていた。
階下に降りるてみると、大人たちはすでに起きていて食堂でなにやら話し合っていた。見るとヤナイは外套を羽織り、今しがた外へ出かけてきたような格好である。深刻な表情で話をしている男たちに対して、イウギはなんだか声がかけづらかった。 「昨日の嵐で岩盤が崩れたらしい…あの坑道は…もうだめだ。」 いつになく真面目な口振りで、ヤナイが父親に報告した。それを聞いた旦那は難しい顔をしている。 「とりあえず、これから組合の者と行って、出来る限りの復旧を試みてみよう。諦めるのはそれからでも遅くはない。」 言うとともに、旦那も外套をひっかぶり、ヤナイと共に宿を出ていった。イウギは挨拶する余裕もなかった。 朝食を済ませて宿の外に出ると、空は驚くほどに平穏に晴れ渡っていた。水蒸気の温もりがまだ外気に残ってあたたかい。路上を見れば溜まった水を抜いた跡があって、浸水は人の手ですでに処理されているようだったが、道はまだぬかるんでいる。 泥を跳ねないように気をつけながら、町の中央広場に足を踏み入れると、山に向かって移動をする坑夫の集団に出遭った。 宿の旦那さんに負けず劣らずの屈強な男たちで、手に手に鉱具を持っている。そして重い足取りでイウギの横を抜けていった。 こんな時間に仕事場に行くのか…。その背中を丸めた、石のような姿を眺めてイウギは内心呟いた。昼間の町に、人がほとんどいない理由が、やっと分かったような気がした。 そのまま町を抜けて、イウギは北側に聳える小高い丘を目指して駆けていった。青年の様子を探りに行くためである。本人が大丈夫だと言ったとはいえ、やはり昨夜の大嵐は心配だった。嵐がどんなに非道くても、彼が無事でいてくれればそれでいい。 坂道を駆け上がると、木々の枝が所狭しと落ちていた。昨夜の風に無体にももぎ取られたものだろう。だがその枝の緑は、いきいきと輝いているように思えた。邪魔な木々を飛び越えながら、少年は元気に走っていた。彼には一つの期待があった。 「辛いのはこれで終わり」だと彼は言っていた。その言葉を信じるならば、彼の言うこの体質的な病気はもう消えているはずだ。あの隔離された病室から、元気に表へ出る彼の姿を早く見たい。 丘を登りきると、果たして診療所の建物はちゃんとあった。周囲に木の葉や枝が散らばっているものの、建物自体に損傷はない。 ほっと胸をなで下ろして、イウギは厚い鉄の扉を叩いた。
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