いっつ!
- TBSの「JIN -仁-」をなんだかんだで最終話まで見てしまった・・・。(シリーズの)途中から見たので、現代シーンの伏線がさっぱりぽんなのだけど、面白かったです。でもホルマリン漬けみたいになってた胎児の意味が明かされないままだったので、次回シリーズにto be continue・・・なのだろうか。気になる・・・
OPやEDの定点撮影みたいのがやっぱり面白くて毎回食い入ってしまう。同じ場所を時代を変えて見るっていうのが、ブラタモリや諸河 久さんみたいで。通じるものがあるよなぁ。最近では三菱地所グループのCMも面白い。明治・大正や昭和の戦時・高度経済成長期には興味がなかったんだけど、鉄道のお陰でなにもかも面白く感じられるようになりました。
最近では一番興奮したニュースが、「亀の瀬トンネルの発見」。亀の瀬は大阪から奈良に入る経路の途中にある難所で、昔から地滑りが酷いことで有名。土砂が川底を上げて天然ダムを造りそこが決壊して下流域にたびたび大被害を与えるので、時代時代の施政者はそこをなんとか補修しようとするのだけど、いくらやっても鼬ごっこで平成の世になってもまだ工事をしているというえらく年季の入った場所です。さかのぼれば神武東征にまでいける。ということを田中八郎著「大和誕生と水銀 土ぐもの語る古代史の光と影」という本を読んで、面白く感じたので当時、関西本線に乗って、その工事現場を見に行ったことがあるのです。えっらい、急な崖の上にクレーンが乗っていて「本当だ、まだ工事してる(笑)」と冷やかしたものです。それが一人で出向いた中で一番遠い場所だったなぁ。そっかあ、あそこから明治時代の遺構がでたかあ。見たいな見たいな。1300年祭もあるし、また行きたいかな。 前行ったときは、二月だったから春休み?の一週間くらいを利用して、卒論旅行と銘打って。 和歌山の友達の家で一泊して、奈良の桜井で四泊くらいして、宇太、葛城、都祁、吉野の4水分神社と大和三山を踏破して、藤原京見て銅鏡の黒塚とキトラと高松塚みて、森野薬草園や郡山城址や薬師寺みて、「ときじくの実」の田道間守と垂仁天皇稜をみて、山辺の道で大三輪山や箸墓古墳をみて。穴師坐兵主神社までは行かなかったんだよな〜「穴師」という地名に興味はあったんだけど、卒論のテーマが「薬 水銀 道教 スクナヒコナの神」だったから、イマイチ食指が動かなかったというか・・・。でもそのあとが近鉄大阪線で鳥羽まで行って、伊勢参りというゴールデンコースだったんで、作法としては行くべきだったのかも・・・伊勢は常世の敷浪よす不死の入り口。スクナヒコナの神も粟穂にはじかれ常世にわたったという…。スクナの「少」と大文字には、「小さい」の他に「若い」という意味も含まれているそうで、そこから「不老不死」「薬」というテーマを引き出せないかと・・・。全国で祭られている天神神社の中でも菅原道真公とスクナヒコナが合祀されている例が少なくなく、「天神」つながりでひとくくりにされてしまったとか、菅公が左遷されたときに、旅の途上で足が痛くてスクナヒコナに願ったら治ったから、のちのちお祀りしたとか、そんな縁起が多くて。近所では、調布の布多天さまがそうです>合祀。 菅原家が何故あれだけ急に台頭したのかという裏に、じつは渡来系の、先進医術に長けていたためだとかの俗説とかがあったりして、おもしろいなぁ、と。先進医療がありがたがられ、畏れられるのは「JIN -仁-」と一緒ですね。 スクナヒコナはタカムスヒの指からこぼれ落ちた、ある種出来損ないの、「ヒルコ」や「エビス」的側面を持っていて、海より寄り来て知恵をさづけまた去っていく、まさに「マレビト」的な性格も持っている渡来神でありながら、オオクニヌシと国造りもする縄文以来の在来神的な部分もあったりする古い神様です。その正体を知っていたのはカカシと田の精霊のヒキガエルだけだった、というのも農耕神的。稲穂ではなく粟穂にはじかれた、というのも、米作が一般化する前の「アワ・ヒエ」食文化を思わせ古い。 風土記としてレベルの高い出雲風土記には、村々から産出する薬草の名前が細かに列記されていて、正倉院にはその出雲や各地から献納された薬種とその目録が残っていたりして、出雲と薬草の知識という関係も興味深いなぁ、ということをうだうだ調べて、結論は出なかったわけですが。
なぜこんなことをしみじみ思い出しているのかというと、京極の「塗仏の宴」読み終わりました。 徐福だの不老不死だの葛洪の『抱朴子』や『神仙伝』、『黄帝内径』、杜光庭、赤松子も懐かしい。牛頭天王とスサノオとか、蘇民将来とかも手を出したなぁ。徳川家康の「ホウ」の話は杉浦日向子さんの「百物語」にでてきてたな〜。ホウの姿は、だから杉浦さんの絵のイメージが強い。 それにしても、まさか下田が舞台になるなんて。正月に実家帰ったときに伊豆急ウォークがてら登ってみようかな、下田富士。そういえば、下田には五島さんの記念碑があるのだった、と思い検索をかけてみたら、寝姿山山頂・・・ぎょええええええ!駅をはさんで下田富士と真反対!!う〜む、どっちをとるか・・・。それよりも、下田まで行くには伊豆急にのらずんば、ですよ!高っっっっっっいのです。日本一高いといわれる北総線といい勝負です。伊東から乗ったら片道1570円です。往復で乗ったら3000円超えちまいます。その上、ウォークに参加するには、スタートする駅の入場券160円を買わねばならんのです。五島さんの忘れ形見は商魂たくましいのです。
下田富士と駿河富士の姉妹話は山の擬人化のようで面白かったです。山同士の愛憎劇では大和三山の万葉歌も有名ですね。この場合は、女男女とか男女男とか性別がころころ換わってますが。 「塗仏の宴」では京極堂が「精霊」「〜の精」というところでの精と、「九十九髪」「付喪神」の妖怪最終形態について、分けて考えていたところが面白いです。これは擬人化の定義に通じる。 「〜の精」といったときには、より抽象的な、一般名詞としての擬人化が宛てられるそうで、形も人間と見分けがつかない。三輪山の主の大物主と箸墓のやまとととひももそひめもこの部類ですよね。いつも夜訪れる見目麗しい男性に、「あなたの正体を見せて欲しい」と願ったところ、それが子蛇だったので姫は驚いて、恥を掻かされたと大物主は怒ってしまう。とか。 私が鉄道擬人化に抱いているイメージはこっちかなぁ。電車の精霊さん。御本舗様の「路線」の擬人化というのがすでに「抽象的」だし。「路線」、といったときには線路だけでもない、車両だけでもない、駅員だけでもない、会社だけでもない、それでいて「そのすべてである」という、擬人化とするにはとても包括的で抽象的で便利な発明だったので、これを見たときにはえらく感銘を受けたというか。 従来の鉄道擬人化というか、車両擬人化はむしろ「付喪神」的な擬人化寄りになるのじゃないかな。こちらの場合は、器物に手足だの目だのが生えている。ややグロテスク。時代は「精」とくらべると室町まで、ぐっと下る、というのが京極堂の見解。 車両擬人化は突きつめていけば、その車両そのもの、個々、というとこまでいっちゃいますからね。増備車だったり、事故車だったり、最後の生き残りだったり、払い下げのお嫁入りだったり、たとえ同じ系列の車両だったとしても、そのなかで一つ一つ、とても個性が強い。濃い人は、車両の編成番号まで一つ一つ覚えていて、そのなかに個性を見いだしているから、すごいなぁ、と。私如きではとてもとてもその境地に至れませんので、車両擬人化は諦めてます。まあ、路線擬人化のキャラの方に若干イメージを仮託する程度です。京王本線が8000系だったり、京王相模原線が9000系だったり、埼京線が205系だったり。小田急はモハ1形。だから髪茶色。東横はらくがきで描いたけど、初代ステンレス5200系。でも時代時代経る話描いてるから、一つの車両に固執するのはかなり苦しいのも確か・・・。そこは目をつぶっていただきたいかんじ。 だから路線擬人化と車両擬人化は似ていても非なるもの。まぜると訳分かんなくなります。とはいえ、広義的には、人語を話せば犬でも物でも非物質でもみんな擬人化。ということは人間の「精」(=抽出された、エッセンス。そのものの本質)は「言葉」による意志疎通、ということなんでしょうね。古代ローマ人は、自分たちに理解不能な言葉を喋る外国人を「知性のない動物と同じ奴ら」と思っていたそうです。
人と動物を分かつのは言葉(知性ロゴス)の有無。では知性を持つ神と人を分かつのは・・・寿命の有無。だそうです。このはなさくやひめといわながひめ〜
2009/12/20
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